今日は、映画「かいじゅうたちのいるところ」日本語吹替え版を観ました。
昨年末に開催された、児童文学研究者である吉田新一先生の講演で、この映画について触れていらっしゃいましたが、モーリス・センダックの名作絵本「Where The Wild Things Are(日本語版:かいじゅうたちのいるところ)」を実写映画化したものです。
1963年に出版されたこの絵本は、全世界で2000万部を超える作品で、現在もなおベストセラーでありつづけるという名作絵本です。ですが、内容はとてもシンプルで、あっという間に読み終え、子供が暴れてかいじゅうたちのいるところに行き、そしてまた戻ってくる。ただそれだけの内容なのですが、そこに込められている意味は深く、誰もが子供時代に体験したことのある、そういったことが映画でより明確に伝わってくるかと思います。
吉田先生も映画を理解するためのヒントとして、
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「注目してもらいたいのは、「The night Max wore his wolf suit and made mischief of one kind.」の「The」です。何故、主人公のMaxは、かいじゅうの格好をして、いたずらをして、食事抜きの寝室おくりになったのかというのが、この「The」によくあらわれているためです。」
と解説してくださいましたが、
この「The」というのは、ある特定の日を指したものであり、映画ではより分かりやすく設定されていました。その特定の日が映画の冒頭のシーン、主人公マックスの姉、そして母親のマックスに対する態度や接し方、これらがマックスの心のなかで「ぼくは悪くないのにどうして?」と、心のなかで何かが爆発し、マックスはかいじゅうたちのいるところにたどりつくのです。
かいじゅうたちは、心の闇にひそむ感情を表現し、マックスはそれらに立ち向かい、挫折し、妥協し、そして成長し、再び家� �戻っていくのです。
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これらのプロセス(マックスの行動や発言)が、もどかしくて、でもこのもどかしさは自分にぴったり当てはまるからだということに最後に気づかされるのです。かいじゅうの島を離れる際に発する雄たけびは、どうしても何か伝えたい、けれども口では上手く説明できない、そんな気持ちの表れだと思いました。
私も心のなかで何かが爆発すること多々あります。そんな瞬間、口から自然に出ているのは、大きなため息であることが多いようです。自分では意識していないのですが、私がため息をつくと、よくそれを主人に真似されるので、あぁ、ため息をついてたんだと、気づかされるのです。
自分の弱さを克服して始めて、人 を思いやれる気持ちが生まれる。
主人公のマックスも、自分に振り向いてくれない母や姉を思いやる気持ちが、ちょっぴり成長したことで生まれていく。
モーリス・センダックがこの絵本に込めた思いは、実写化されたこの映画によりさらに多くの人々に伝わっていくことでしょう。パンフレットに掲載されたセンダックの言葉が、そのことを物語っています。
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「ジョーンズ監督と、彼が作ったこの映画に絶賛を惜しまない。原作の本質を受け継ぎながらも、その世界を豊に膨らませ、確固たるオリジナリティを打ち立てた本物の1作。絵本も、映画も、私はどちらも大好きだ」
映画「かいじゅうたちのいるところ」パンフレットより
この映画は、最初子供たちも楽しめる映画と思っていたのですが、内容は大人向きで、友人の4歳になるお子様は「怖い、怖い」と、かいじゅうのシーンはかなり怖がっていたようです。確かにこのかいじゅうたちは、強烈な個性を持ち、それぞれが交わることのない性格同士のものが、ひとつの島のなかで孤独と寂しさに打ち勝ちながら共存するのですから、そのへんてこりんな関係のなかで、主人公マックスは王様でなければならない。自分自身の心のなかですものね。
心のなかの世界って、こんな表現方法があるのですよね。小さなお子様にとっては、強烈な個性をもったかいじゅうが、画面いっぱいに暴れまわるのだから怖くて当然です。
もうひとつ、かいじゅうたちのいる島にたどりつくには、小さな船に乗り、大海原をただよわなければならないシーンが、心の闇につかまるとなかなか抜け出せないそんな気持ちを表すのにぴったりだとも思いました。
嫌なことがあると、心のなかに住むかいじゅうたちが解決方法を与えるきっかけを作ってくれる、そんな風に思うとちょっぴり心強くなれますね。2010年、なんだか映画で元気を与えてもらいました。このきっかけを作ってくださった吉田先生の講演会に参加することができ本当によかったです。
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