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先日実際にあった会話。
- 知人A:「犬を飼おうと思ってさぁ」
- 知人B:「何でですか?」
- 知人A:「いやー家族が相手をしてくれないから、犬でも飼って生きがいを求めようかと」
- 知人B:「でも犬って高いですよ。お小遣い月3万円のAさんじゃ無理じゃないすっか?」
- 古谷:「保健所とか里親募集で探せばいいじゃないですか」
- 知人A:「えー誰かが要らなくなった犬でしょ?それ?なんか嫌だな」
- 古谷:「・・・・・」
こんにちは。
古谷です。
8月。夏休み真っ只中。毎年思う「夏ってこんなに暑かったっけ?」。熱中症を他人事にできない日々。お体にはお気をつけ下さい。と他人行儀な挨拶は置いといて、あなたは夏に関してどういう印象を持ってますか?子供の頃なら子供なりに、大人になれば大人なりに、その印象は変遷するかとは思いますが、今年の夏は「いま」しかないわけです。「いま」という瞬間を一生懸命楽しみたいですね。
で、早速本日の日常考察いってみたいのですが、今日取り上げる考察対象はテーマが深いです。多くの人間が如何に自分以外に興味がわかない人となってしまっているか、の現実を実感していただけるかもしれません。我々が普段生活している日常は多くの犠牲の上で成り立っています。ただ、その犠牲の中には犠牲になる必要がないものがあります。我々の勝手な利己心によって犠牲になっている命があるという事実を、本日は一緒に考察していきましょう。
1.ドリームボックスとは
直訳すると「夢の箱」。
実態は、動物の処分機です。ドリームボックスという名前を誰がつけたのか、どういう意味を持たせたのか、そんなものを考え・調べる必要もないくらい、腹立たしいネーミングです。実際に全国にある保健所・保護センターで、毎日1,000頭、年40万頭近くの動物がこのドリームボックスで殺処分されています。殺処分の方法も安楽死ではなく、二酸化炭素による窒息死です。その理由はコスト。二酸化炭素による窒息死だと1頭当たり78円だそうです。施設では鉄の檻に曜日毎に動物が収納され、毎日1日ずつ隣にずれていき、引き取り手が現れなかったら、通常3日でドリームボックスという名の穴に落され、殺処分となり、自動で焼却され、ゴミとして処分されます。
nelsons滝、ノースカロライナ州
感情に左右されずに冷静に考えてみてください。毎日1,000頭の動物が殺されているのです。法律の改正や自治体・民間団体の努力により、10年間でその数は半減したとはいえ、毎年40万頭近くは殺されているのです。そして、殺される動物のそのほとんどが飼い主の勝手な都合により施設に持ち込まれています。下記に動物実験廃止・全国ネットワーク(AVA-net)のHPから飼い主が動物を捨てる理由の一部を引用します。ただ、下記の理由一覧は当然ですが、動物が施設に持ち込まれた際に持ち込んだ人(飼い主)が書いたものです。つまり、他からの非難を受けないように「飼い主側にものっぴきならない事情があるんだよ」ということを含んで書いているという認識で読んで見て下さい。
■飼い主の都合
- 世話ができない
- 飼いきれない
- 飼主の死去
- 日常生活に支障をきたしている
- 飼主高齢のため
- 離婚
- 病人あり
- 老人病気
- 母の痴呆がひどい
- 親の面倒をみなくてはならない
- 飼主の老齢化
- 子どものアレルギー
- 小さい子どもがいる
- 孫が喘息になり飼えなくなった
- アパートのため
- 一戸建てでなくなる
- 引っ越し先が公団
- 引っ越しで飼えない
- 飼主が入院
- 夫単身赴任、妻喘息入院
- 忙しくて面倒見切れない
- 家庭の事情
- 独り暮らしで不在が多い
- 会社勤め
- 飼主が老人ホームに入った
- 世話をする人がいない
- 飼主入退院繰り返し散歩不可能
- 年金生活で犬を入院させられない
■犬の状況
- 成犬でもらいなつかず給餌不可能
- 育てるのが困難
- 家族になじめない
- 夜鳴き
- 家族を咬んだ
- 雷の時に暴れる
- 狂暴
- 咬み癖
- 暴れる
- 家族を咬む
- 小さい頃のトラウマがあり咬み癖
- 飼主に従わずこれ以上飼えない
- おとなしすぎる
- 家の中を汚す
- 脱走する
- 皮膚病
- 犬が皮膚病で手に負えない
- 24時間吠えている
- 散歩できない
- 老衰
- 高齢(ボケ)
- ガン
- ケガ
- 子犬産まれる
- 多すぎる
- たくさん産まれたため
- 現在2匹いるので多すぎる
- 増えすぎた
- 多頭飼育
この事実、「ひどい」「かわいそう」だけでは片付けられません。もしあなたがペットを飼っていたとして「私は絶対にそんなこと(ペットを施設に出す)をしない」と思っていても、こういう現実があることを知って、その根本原因がどこにあるのかを考察する必要が僕にはあると思います。
滝の本コーナー
2.我々はなぜペットを飼うのか?
ペットの歴史を紐解いていくと、狩猟などの助けとしてイヌが、農耕において害獣となるネズミなどを駆除してくれるネコが珍重されていたとされています。3万年ほど前のクロマニョン人の骨と共に、犬の骨も出土していることから、クロマニョン人はすでに犬を飼い、動物の狩りに利用していたと推測されています。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチが1490年頃に描いた『白貂を抱く貴婦人』でも明らかなように、その時代からも様々な動物が飼育されていたという事は間違いありません。
古代では狩猟などの助けとしてイヌが飼育されていたように、ペットというよりはどちらかというと「パートナー」という位置づけだったのだと思います。では、現代でいうとどうでしょうか。もし川島なお美にこんな質問をしたら即答で「大切な家族です」と返ってくるでしょうが、今の時代、ペットは愛玩動物とはよくいったもので、家族というよりは、我々人間を「癒す」為だけに飼われている「玩具(=愛玩)」というほうが実際の現実に近い感覚だと思います。
きっとこんなことをいうと否定する人が多いと思います。ペットに愛着がある方にとっては神経を逆なでしてしまうような発言かもしれません。ただ、先ほどもお伝えしたように、感情に左右されずに冷静に考察してみてください。ここから先はペットを飼っている人にとっては非常に冷徹な意見に聞こえるはずです。ただ、現実を直視すれば愛玩動物という側面は否定できないという事実がわかるはずです。
例えば、ペットビジネスというキーワードで検索をかけてみてください。ネット情報は玉石混交ですから、全てが事実とは限りませんが、ペットブームの裏側では人間の欲望につけ込んだビジネスが展開されているのがお分かりになるかと思います。その時代の人間のニーズにあった品種が生み出され、数年いや数ヶ月後のニーズに合わせてまた改良される。そして、我々が飼い易い様に仕立てられた動物が量産れています。そうして量産された動物を人気があるから、血統がいいからとこぞって買うのです。日本で飼われているペットの数、犬猫合計で2,500万頭。日本人4人に1人が飼っている計算です。
ではなぜこれほどまでに我々はペットを飼わずにはいられないのでしょうか。
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その答えは先ほどお伝えしました。そう「癒し」の為です。古代ではパートナーであった動物。そんな動物は時代を経て、現代では人間を癒す事それ自体が存在意義となっています。言い換えれば、癒す事ができない動物は「不必要な存在」なのです。いや、不必要な存在ともいえないかもしれません。それは「不必要な"モノ"」として扱われている現実があるからです。
そう、ドリームボックスです。
3.自分以外を「モノ」としかみれない現代人
我々現代人は孤独な環境で生きているといっても過言ではありません。それは人によっては感じ方に差はあれど、大なり小なり必ずある感覚だと思います。だって、我々人間は個人で生まれてきたのだから致し方ありません。それに加え、小さい頃から何かと競争させられ、大人になっても人としては扱われず、機能だけを求められる、まるで「モノ」として扱われる環境が現代なのです。そんな辛い環境で生きている我々が、一時でも別の何かにすがりたいと考えるのはごく当たり前の感覚だと思います。
そしてその帰結する先、つまりその別の何かがペット(=動物)なのです。
言葉は通じないけど、言葉を越えた感覚で理解し合える。人間と動物はこんなコミュニケーションが取れる間柄だと僕は感じます。ただ、ごく一部の人間にとって動物はコミュニケーションの対象としてではなく、単に自分の不安・孤独のはけ口を目的として飼っているという事実があります。
- 「いうこときかない」から、私を癒してくれない。
- 「病気になった」から、僕を癒してくれない。
これって、
- 「古くなった」から、この人形いらない。
- 「クリアーした」から、このゲームいらない。
と理屈は同じだと思いませんか?
我々現代人はいつしか、自分以外を自分にとって「有益」か「無益」か、で判断する傾向が強くなっています。それは、現代がかかえる一種の病気だといっても僕は大げさではないと考えています。そして、自分にとって「無益」と判断したら、それは用済みとして処理される。自分にとって有益なものだけを残して孤独を紛らわそうとするのです。
もちろん、大抵の人はペットを有益・無益では判断していないと思いますが、ただ、我々の根底にはこういう概念が少なからずあるのが事実だと受け止めてください。聖人と呼ばれる人以外は必ず、そして、少なからずある、という事を認識してください。
この事実を認識した上で。
はたして、自分以外を有益・無益という視点でしか判断できない人を、他は自分を「ヒト」として扱ってくれるのか?という事を考えていきましょう。
といっても考えるまでもないかと思います。あなた自身に置き換えてもらえれば一目瞭然ですよね。相手を「モノ」としか見れない人は、相手からも「モノ」として判断されます。その結果、ますます孤独となり、ますます自分以外を引き離していく悪循環にはまっていきます。これは例として何かをあげるまでもなく、社会生活の中であなた自身が既に実感していることだと思います。
人間は生まれながらに幸福に生きようとするものです。
しかし、皮肉にも幸せになろうとして行った行為が、結果、幸せを遠ざけてしまっているのです。
現代に生きるペット(=動物)は飼い主がいないと生きていけません。命あるもの水も食料も必要です。この資本主義の国では、水にも食料にもお金がかかります。ペットは自身でお金を稼げません。故に飼い主が絶対に必要なのです。
僕はペットを飼うこと自体を反対しようとは思いません。ただ、ペットを飼う人間側の今のこの異常な風潮に関しては警鐘を鳴らさずにはいられません。命を「モノ」としか認識できない人間が0(ゼロ)になる日は、正直こないと思う。だけど、僕のこの拙い文章をここまで読んでくれたあなたが、そして、そのあなたとつながりがある人が、そして、そのまたつながりがある人が、この問題に、この異常事態に少しでも敏感になってくれれば、今よりもっとより善い世界が訪れ、人間もペットも幸せに過ごせる世界がくることを信じて本日の日常考察は以上となります。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
古谷 聖司
- 相手を「モノ」としか判断できない人間が、相手から「ヒト」として扱われるわけがない。その相手が動物であっても同じである。
- 命ある相手を「モノ」としてしか接することができない人が増えている現実を直視し、あなた自身でその現実を考察してみてください。
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